レバンガ北海道 折茂現役引退(埼玉県出身)
今季限りでの現役引退を表明していたバスケットボールBリーグ1部レバンガ北海道の折茂武彦(49)が、27年に及ぶ現役生活の幕を閉じた。
3日、新型コロナウイルスの影響でオンラインで行われた引退会見に臨んだ。93年にトヨタ自動車(現A東京)でキャリアをスタート。日本代表として2度の世界選手権(現W杯)に出場し、19年には日本出身選手初の1万得点を達成した。今後は11年から兼任する社長を継続しながら、後進の育成に努める。
◇ ◇ ◇
◆折茂武彦(おりも・たけひこ)1970年(昭45)5月14日、埼玉県上尾市生まれ。埼玉栄高2、3年の総体に出場し、3年時8強&得点王。日大では主将だった4年のインカレで優勝&MVP。93年トヨタ自動車入りし、日本代表初選出。94年アジア大会銅メダル、98、06年世界選手権出場。07年レラカムイ北海道に移籍。190センチ、77キロ。
<折茂の歩み>
◆出身 1970年(昭45)5月14日、埼玉県上尾市生まれ。
◆中学&高校 父の影響で小学4年から野球に打ち込んだが、中学に入り3歳年上の兄の影響でバスケットボールを開始。中学3年間で身長が33センチ伸び、埼玉栄進学時には190センチに。2、3年の総体に出場し、3年時は8強で得点王。ジュニア日本代表にも選出。
◆大学 日大主将だった4年時に全日本大学選手権で優勝&MVP。盟友の佐古(中大)とは大学の寮が同じ沿線沿いで、当時から愚痴を言い合う仲。
◆トヨタ自動車 93年入団。3季目の95-96シーズンに「3PT賞」で初タイトル。ベスト5初選出の96-97シーズンから8季連続でリーグ日本人最多得点。01-02シーズンにMVP。在籍最後の06-07シーズンにはスーパーリーグで2年連続3度目の優勝を達成。
◆レラカムイ北海道 07年に移籍。40歳で主将を務める。10-11シーズン中に前所属の運営会社が除名処分に。自ら新たな運営会社を立ち上げて、異例の代表兼選手として再出発。
◆レバンガ北海道 19年1月5日三河戦で史上3人目、日本出身選手初の1万得点を達成。20年1月18日北海道初開催のオールスターで通算9度目のMVP。3月15日敵地での川崎戦が現役最後の試合となった。
◆日本代表 94年にアジア大会(広島)で日本代表に初選出され、銅メダル獲得に貢献。97年アジア選手権準決勝サウジアラビア戦でチーム最多26得点を挙げ、翌98年の世界選手権31年ぶり出場につなげた。98、06年の世界選手権出場。
折茂の原点を知る恩師、中学以来の友人が当時を振り返った。埼玉栄時代に指導した金井清一氏(55=現前橋市議、写真)は能代工出身で、折茂が2年のときにコーチに就任した。「細かったけど、とにかくスタミナがあった。さらに高校ではしっかり走れる選手にと鍛えた。この年までプレーできたのも、やはり走れたからじゃないかな」。無尽蔵の体力こそが、レジェンドの土台だった。
現埼玉栄監督の伊藤裕一氏(49、写真)は中学時代からの友人。折茂が上尾上平中2年時、伊藤氏の大宮(現さいたま)宮原中と秋の新人戦で対戦した。「170センチぐらいで目立たなく、どこにいたかも分からなかった。確か70点差ぐらいでうちが勝った。中3の夏になったら、なんか上平中に体のでかい転校生が入ったのかと思った」。それが、半年で身長が一気に15センチほど伸びた折茂だった。
折茂自身「最初のターニングポイント」と言う埼玉栄時代は、長身を生かしフォワードやセンターと、ゴール近くで勝負する選手だった。カテゴリーが上になるにつれ徐々にレンジが外になり、日本を代表するシューターとなっていく。金井氏は「中でもしっかり仕事ができた。役割が変わっても対応できる柔軟性と素質を秘めていたのでしょう」と話す。
金井氏は「これからはぜひ、人づくりをしてくれることを願いたい」。伊藤氏は「僕らの世代の誇り。日本の顔だし、サッカーでいうカズ選手みたいな存在。日本のリーダーとなって、バスケットボール界を引っ張っていってほしい」と期待。第2の人生を、皆が注目している。【永野高輔】