野生の素材
今、ようやく自分の描く理想のチームへ向かいつつあります。
以前、指導していた頃は、一から十まで指示をする「軍隊式」の指導をおこなっていたようなことで、目先、結果は出やすいのですが…子ども達の個性、自主性を重んじる指導ではなかったことは間違いありません。
※反省はしていますが…後悔はしていません。必死でたどり着いた当時の答えですから。
ただ、当時も「自主性」を持たせる…という課題については、何とか取り組みたいと思っていましたが、チームの事情や、伝統が妙に悪さをしてしまい…自分自身も変革できなかった歴史があります。
今、十数年、ミニバスから離れたことで、その間、「バスケット」のことは殆ど考えない生活を過ごし、スポーツに対する見方や考え方が変わった自分がいます。
釣りをしたり、旅をしたり、映画を観たり、他のスポーツの観戦にのめりこんだり…と。
自身の視野が変わったという表現が正しいでしょうか。
長い人生、色々なことがあります。私も「私の人生はミニバス!」と思っていましたから、それが無くなった時の喪失感は大変なものでした。
でも、時間が経てば…そんな思いも薄れますし、また違ったところにエネルギーが流れる…。よく「この人がいないと…」って言われることがありますが、案外、その人がいなくなっても世の中は回っていく…そんなものです。
結果的には、表現は別にして「リセット」することができたことは、今の私にとって、非常に大きな変化点であり、チャンスとなりました。
今は、チームのことを考えつつも、やはり「個の変化」にとても興味があります。
「選手と向き合う」という視点が、当時も指導で意識していた以上に、また、少し違った角度で見れるようになったのでは…と自身を評価しています。
子ども達に対する「思い入れ」は、時に過度な関わり方をしてしまいます。
要は「踏み込み過ぎる」ということです。
自主性を重んじる…ということは、「任せる範疇を伸ばす」という意味もあると考えます。
「…だから、○○なんだ」と、理屈を先に投げるよりも、迷っていたら、一旦、迷わせてあげる。これも一つの指導方法。
解決策を焦って与えるより…悩み、苦労して自ら答えを見つけるまで「待つ」ということも「任せる」ということではないかと考えます。
困っているから助けてあげる…これも人の情。これはこれで助け方の「さじ加減」が重要なのです。
「自己肯定感」「個性」「自主性」など、言葉で言うのは簡単なのですが、それをどう目の前にいる子ども達に結びつけるか…。これが簡単にできるなら、自分の子どもを育てることも簡単にできるでしょう…が、そうはいかないですよね!(笑)
バスケの技術は、技術書などを読めば、概ねマニュアルがあるので、こと足りるのですが、人の心というものには、マニュアルはないので…常に「感じる」ことが重要です。
決めつけてできるものではないので…だから「面白い」と向き合える自分がいるか…ということです。
チームの子ども達が「個」を表現し始めている今、楽しみながら「優劣」をつけ始めています…言い換えれば「自分の位置づけを確認し始めている」ということですから、“野生の猿”に戻ろうとしています(笑)
例えるなら、兄弟喧嘩をしていた時期と同じで、優劣がないときは、つけるまでの確認作業を始めます。「お兄ちゃんより、俺の方が凄い!」と勝負を挑む弟のように。
なので、プレーの中で「遠慮」というブレーキが外れ始めているので…意地になったプレーが出始めるのですが、この意地でみせるプレーをポテンシャルとして受け入れてあげる…そして、間違った方向へ進みそうなら、ハンドルを少し回してあげて、手助けしてあげましょう!少しね!
決して、そこで、強くブレーキを踏まさないように…アクセルは踏ませたままで、舵だけを微調整してあがられる指導を目指せば、おのずと私の目指すチームへ進んでくれのかと…。
「伸び伸びとプレーする」の要素に、子ども達の「野性味」をいかに残すか、そして伸ばすか、が実はポイントかと私は考えています。
チームという型にはめる前に、型にはまらないくらいの「野生の素材」を集めたいですね♪