試される情
新型コロナによって、職を失ったり、生活が困窮している方の報道が連日行なわれております。
その反面、コロナ特需を受けている業種もあります。
実は私の勤めている会社もその一つ。
新型コロナの感染が広がり、取引先様との打ち合わせも出来ず、出張も見合わせ、社内事務所の電話も鳴ることが少なくなり…いよいよ我が社もコロナショックだなと覚悟を決めていたのですが、そこから一転。
樹脂板を扱う業種なのですが・・・飛沫感染防止用の透明パネルの生産依頼が入り、工場の機械は稼働MAX状態です。
こうなると人は“情”が無くなるので、お客様から「急げ!急げ!」で、休み返上で生産を依頼される有様。
確かにこのご時世で大変「有難い」ことなのですが・・・これはこれでどうなのかな?って考えてしまいます。
いっそ、工場無人化で動けばいいのでしょうが…そんなことができる設備もなく。
この先の連休も、どれだけ稼働させられるか・・・って社内では意見が飛び交っています。
生活に必要なことは、自粛の対象ではなく、これまで通り…でも、その窓口や、まさに医療関係者の皆様は、自分の命をある意味「運任せ」で体をはって頂いています。
そんな「責任感」に甘えている国のやり方に疑問を感じます。
給付金もしかり…。
このまま成り行きで事を進めば、長期化は免れないので…実質、弱い者から淘汰される経済を容認した形となります。
緊急事態宣言も、あくまで「自粛要請」であって、法的に“停止命令”ができないから…従わない企業名を「公表する」って…それって、国民感情を利用して、法ではなく、社会的制裁に頼るってことですよね?
いわゆる「さらし首の刑に処す」ということ。
ワイドショーでは、コロナに感染した芸能人に対するバッシングを「今」おこなうべきではなく,
今は治療に専念していることに「応援」してあげる…過ちを叱るのはその後でいいんじゃないか…私もそう思います。
今、「人として」への問いかけが、どうも国が悪用している気がして…人の感情を使って、いじめを助長するような動きがあるのが…とても気になります。
人の「情」はこうなると無力なのか、それともマイナスに作用するのか?
この新型コロナウイルスによる100年に一度といわれる危機を、何とか乗り越えた先に、この日本の未来へ「しこり」を残すような愚策だけは、是非ともやめて頂きたい。
そう願っています。
私もいつ「感染」するか…わかりません。
チームの子ども達、そのご家族にも、いつ感染者が出るか…わかりません。
気をつけていても感染する人は感染するし…気をつけていない人でもしない人はしない…。
感染も言わば「確率」「運」「偶然」の重ね合わせでもあるので、「より感染のリスクを抑える」ということしか私たちにはできない…。
だから「大丈夫」という絶対的な保証がないものへ挑むのだからこそ、最善を尽くす努力を、一人ひとりが意識して行うほか、手はないんです。
耐えましょう!我慢しましょう!そして挑戦しましょう!…いつか貴重な体験談として後世に語れる日が来るまで。