梅雨の晴れ間
もう、ブログで「自粛」って言葉ばかり書いているので、少々つまらなくなってきました…。
決して拗ねている訳ではなく、「不安」と「恐怖」に向き合う日々に、希望の光がみたい、そう強く思っています。
一時的になるかもしれませんが、地域での活動に、条件つきではありますが「活動再開」が認められ、先週末に久しぶりにメンバーが集まって、練習をおこないました。
任意での参加ということで、各ご家庭に判断を委ねた形でおこなったのですが、所属する子ども達全員が参加してくれました。
…これは喜んでいいことなのか…それすら…もうわかりません。
また、新しい仲間も体験に来てくれました!これは素直に嬉しいことです♪
でも、練習後、子ども達との別れ際に、「今度、いつ活動中止になるかわからないので…」、どうしてもそんな話をしてしまいます。
この「出会える幸せ」「活動できる幸せ」が、“梅雨の晴れ間”とならないように…。
何気なく、「また明日!」「また次!」「また来週!」って言えない辛さ。
決して永遠の別れではないにしても、これまで一緒に過ごしてきた時間が長いからゆえ、「会えない」という寂しさはひとしおです。
本来なら今、新チームに切り替わり、団員募集の勧誘にも力を入れている時期。
その勧誘すら動けない状況で、不安に思っているチームも沢山あるかと…。
「命があり、健康であれば、いつでもスポーツはできる」…それは私もかっています。
ただ、それは若かりし頃、青春時代を過ごし、一通りのスポーツの醍醐味を味わった者が言うことであり、生活時間の多くを「スポーツ」、「ミニバス」などに注ぎ込んでいる真っ最中の子ども達が自ら気づくことではありません。
「美味しいものは、お金を払ったら、いつでも食べられるよ!」とは違うんですよね。
人生には「今」しかできない、「今」しか味わえないものがあるから、感動もするし、儚いのかと。
今、スポーツだけで見れば、活動を自粛し、やりたいときにやれなかった記憶を埋めるのは、年齢を重ねて「マスターズ」のようなステージで活躍を目指すのでしょうか?
なんか、ちょっと違うかも…。
“青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方”、“心の若さ”とも言います。
元々、青春は、春を現わす表現で、緑(青)が芽吹く時期を転じて、若さが象徴されますが、今、まさに、その春の時期を迎えている最中、“青春”が味わえない…。
今、血気盛んな高校生、特に3年生の青春時代は、この新型コロナによって、奪われること、経験できないことが多くありそうです。
その辛い思いを、「心の持ち方」で乗り切ってほしいと願います。
私は既に、懐かしむことのできる青春時代を過ごさせて頂いた幸せ者です。
私のこれからの“青春”は、「心の持ち方」で何とでもなるかと思いますが、若者や少年達のかけがえのない時間は戻ってはきません。
「命の大切さ」と「かけがえのないもの(時間)」は、天秤に乗せることすらタブーな時代なのかもしれませんね。
さあ、この自然の摂理に、今、どうやって向き合うか…人類の英知を結集する時です!