「生きている」という考え
予定通りであれば、本日から練習が再開されているはず…。
ブログを先行して書いているので「未来予想」になってます(笑)
4/4に公共の体育館の使用許可がおり、活動自粛の要請内容に照らして、自チームのみでの練習をおこないますが、体育館からは、施設管理者が1名しかおらず「感染予防は各団体にて対応願います」とのこと。
早速、チームの全体LINEを利用して、練習中のマスク着用や、都度のアルコール消毒、その他、使用マスクは練習後に処分して、新たなマスクを着用しての帰宅など…。
サポートしてくれる保護者の方にも練習中の見学は離れて観客席から…なんて、お願いもして。
息を切るような激しい練習は避けるようにして、体の使い方や、シュートフォームの改善、個々の技術に特化したメニューを、選手同士の間隔をあけておこなうなど、ひと工夫が必要になってきます。
こんな感じで練習をおこなう日々がいつまで続くのか…またいつ「活動中止」の要請が来るか…活動しても不安、活動できなくても不安…不安ばかりで疲れる。最後の手段は「何も考えない」(逃)
いずれしても、まだ活動再開を認めて頂いている地域であることが「恵まれている」、そう捉えるようにしています。
東京都や大阪府では公立学校の休校期間が延期になり、影響を受ける学生さんや、そのご家族、関係者などはご苦労が続く…。
公立は「ダメ」で私立は「OK」なんて、法律が邪魔をするのか、本来の目的がぼやけてしまうような動きしか、日本はできないのでしょうか。
映画「シン・ゴジラ」だったかな?
ゴジラが都心に迫って、政府があらゆる動きを求められたときに、縦割行政の笑い話で、マニュアル通りに手続きを踏まないと動けない…初動までにゴジラが上陸…攻撃許可がなかなかおりず…(笑)
まっ、映画なのでその“やきもきする様”を楽しんで観てられましたが…半分呆れて観ていた映画が現実になってますね。
法律って何のためにあるのでしょうか。
法律に縛られて…命を落とす…そんなことが起こっても、今の日本なら「そらそうなるわ」って割り切れるかな…私は(笑)
練習をすることが「悪いこと」のように取られても仕方ない状況の中、子ども達に何を教え、何を伝えるか…これまで当たり前のようにおこなってきた練習の有り様を、見直すいい機会となります。
よく聞くフレーズ「命や健康があってのスポーツ」…これに縛られると人は「生きること」が目的になってしまいますね。まっ、本来の動物としての本能ですから仕方ないか…。
死んでしまっては「おしまい」の考え方…これから先の未来、人類としてどう考えるのでしょうか。
志村けんさんの追悼番組をみて、高木ブーさんが最後に「志村は死なないの」ってなことを言ってましたね。人が感動や喜びを与えるなど、死してなお記憶の中で生きることが、今からの時代、「生きている」という考えの一つになるような気がして…。
なので、人工知能AIを使って、その人が未来永劫、生き続けるかも…ん~、まだ想像つかんなぁ。
あかん!またワールドに入っとる!(笑)
ミニバスの指導に復帰するまでは、「終活」を進めていたので…自分が死ぬ時期をイメージしながら、どうやって残りの人生を生きるか…なんて考えていたことが、今、リアルに思うことに。
親父が他界したのは62歳、自分がその年齢になったときに、みんなとお別れするイメージ、今でも生活しています。それまであと何年ある、何年しかない…って。
何とか親父の生きた年月を超えることができれば…そこから先の人生は“ボーナスポイント”ですね!(笑)
長生きする…この先も含めた自分自身の62年間の人生をイメージして、何をするか、何を残すか、何を伝えるか…それができれば、決して「短命」ではないと思っています。
それがもし仮に、この新型コロナウイルスで、今年、来年で自分の人生の幕を閉じると考えた時、やり残したことは、確かにまだまだあるんですよね。
なので、この危機は何とか乗り切れるよう…そして、更に近くの「仮に」を考え、新たなイメージとして、何が出来るか…。
交通事故などで突然に命を絶たれた方は、そんなことすら考えられないままで、この世を去られています。
まだ生きている間に考えて、行動できることが残されていますから、皆さん、人生を豊かにする為に、前向きに頑張りましょう!
なんか、早々に人生が終わってしまうような仮説をしてしまい…ほんと、申し訳ないm(_ _)m
「皆さん、お元気で何より!」って笑って挨拶できる日まで…。