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努力?遺伝??才能???

2021/08/29 22:27
  



募集ページ向けの投稿なので、
少し私達の「努力に対しての向き合い方」をお話しようかなと思います。

最近は「生まれつきの才能」とか「遺伝がうんぬん」等、寂しい話を良く聞く様になりましたね。
科学の進歩とインターネットの普及はすごいなぁと感じております。

論点は「努力など意味がない。」という一つの考え方です。
確かに「自分に得意不得意がある」の事実だと思うのですが、「危ない言葉」だとも思います。

なぜ危ないかですよね。
「ちょっとの失敗」「自分がやりたくない事」を『才能とか遺伝のせいにして諦めてしまう子供や、勘違いした大人』が増えてしまうのではないかな…と危惧しています。

立ちはだかった壁の向こうにいける「能力も才能」もあるのに、
それを越える為に少し痛かったり、辛かったり、しんどかったり…
「越える努力が出来ないが故に、本来生まれ持った能力も才能も気が付かない人。開花できない人達」が増えていくのではないかな…と。
その越える努力が出来ないのも含めて「能力や才能」だと言われえればそうなのですが、何かその考え方は少し寂しいですね。

良くない結果に対して「私は才能が無いから…」って良く聞きます。
「あいつの方が才能があるから仕方ない」と聞くことも有ります。
このパターンってだいたい「言い訳」ですよね😁

例えば「50m走を1秒差」で負けたとしましょう。
これ「遺伝や才能」で負けたと言い切れますか?

例えば良いコーチに教われば0.5秒縮まったかもしれません。
少しフォームが変われば0.2秒縮まった可能性も有ります。
50m走は「スタート・加速・スピード維持・フィニッシュ」に分解出来ると思いますが、
自分の得意(才能)部分で相手と差をつける練習をすれば1秒縮まったかもしれません。

これではまた負けてしまう可能性はあるのです。

しかし負けた理由は「努力の質」の問題であり、「遺伝や才能」ではありません。
「遺伝や才能のせい」にするには早すぎです。
才能や遺伝子を呼び起こす為のきっかけが足りなかっただけです。

更に短距離ではなく「別のスイッチ」が入ってしまうかもしれませんね。

今の短距離走の話なら、
「オリンピック見てたら走り幅跳びがやりたくなった!」。
「短距離走は苦手だけど幅跳びなら…」とか「長距離の方が好きかも」とか。
「一生懸命教えてくれる人の姿を見てたら、私も将来人に何かを教える様な人になりたい!」とか…
これが「報われる」という事だと思うんです。
※報われる=努力や苦労に対して、それに見合ったような期待通りの成果や成功が得られること。
短距離走は難しかったけど短距離走の努力を継続した事で、
「新たしい道を見つける事が出来た!」という成果が出ました。
この人の人生においてはひょっとしたら、
「短距離走は走り幅跳びをこなう為の過程にしか過ぎず、短距離走で負ける事は神様が既に決めていた道。要するに走り幅跳びの才能を開花させる為のきっかけ」だったという事です。
(また次のゴールに向かい努力がスタートするのですが…)

これ本当に凄い事だと思います。
なかなかこの「結果を出したり新しい道を見つけるまで努力を続ける事」は出来ないですよね。
「我武者羅ではなく、闇雲でもなく、全力でもなく…続けることが出来る努力の継続」という事は本当に大切だと思います。

それに「私には才能が無い」とか「遺伝が〜」という思想の方と決定的に違うのは、
「今までの努力の過程」があり「過程から生まれた根拠」があり、なによりも「説得力」があります。
人生で大きな糧になること間違いなし!です。

最後に…
努力に対して私はこの様な考え方を持っております。 

・世の中は怖いぐらい「勝つ事」にこだわり過ぎ
「負ける事」に敏感になり過ぎ。
・例えば「走る事」なら勝つ事ではなく、タイムが縮む事が目標でも全然良い。
「継続出来る事」が最大の努力だと思う。
・とは言えど、「努力の質」は重要な事。
我武者羅に闇雲に全力で自分の限界を超えて、毎日続けて頑張ることが努力ではない。
・全力とか我武者羅は、「故障や燃え尽き症候群(バーンアウト)」も怖い…
・辛くても続けると「忍耐力」はつくかもしれないが、
 「体と心の障害」が発生しては、人としての基本的な生活すらままならなくなる。
 これでは意味がない。
忍耐力だけでは社会に出ても何の役にもたたない。
・現代社会が求めているのは「個性」であり「協調力」であり、
 「自分で困難に立ち向かい、自分で切り開き結果(良きも悪きも)を出せる人材」である。
・昔はこのバランスが崩れた状態を「忍耐力や努力が足りない」とよく言われた。
・見当違いの継続は継続した事だけが経験値となり、目標に結びつきずらい。
・目標に結びつかなければ、モチベーションは落ちるし自信も無くす。
 (有能感の欠如)
努力は「自分の才能を開花させる為に必要なベース作り」であり、
 その為には体も心も健全である必要がある。 
・努力に失敗は付きものである。
・若いうちに失敗という経験を通して、チャレンジ精神を身に着けて欲しい。
 それが新たな努力との出合いになる。

こんな「絵に描いた餅」の様な事を言っておりますが、これは理想でも妄想でもありません。
「私達が子供達に対して持つ正直な気持ちであり、育成の目標」です。
私達も努力の途中でこの考え方に問題が発生して、軌道を修正する事もあるかと思います。
ただ、
「バスケットを通して学習して欲しい事」はしっかりとブレずに持ち続けたいと思います。
私達もプレイヤーと同様、それ以上の努力をしたいと考えております。

こんな頭がカチンコチンのコーチですが、
皆さんとバスケットが出来ることを心より楽しみにしております!

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