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僕たちが生きている今日は、もっと生きたかった誰かの明日なのかもしれない

2020/07/04 18:23
  


 

僕の言葉は少なからず誰かのためになっているかもしれないし、他の人よりちょっとだけ影響力があるかもしれない。そう「信じて」頑張っている部分があるので少し個人的な事を書きたいと思います。

バックミュージックはかりゆし58の「さよなら」でお願いします。

今日、大切な大切な家族の愛犬メンマが旅立ちました。

 

 

死は悲しみだけを贈らない

2年前、祖母を亡くしたときにお世話になっているお坊さんが僕たちに説いてくれた言葉です。別れは悲しく、涙は出るのだけれど、人は悲しむために人と出会うのではなく、生を授かるのではなく、沢山の楽しいことや感動を、愛情を得るために生き、人と縁を結んでいくのだと。その言葉は確かに僕の心に留まっていて今でもしっかりと心の中で響いています。

確かに、別れはとっても悲しい事です。後悔も沢山残ります。でもどうだろう。もっともっと光り輝く贈り物を僕は貰っていることに気付く事ができます。

 

 

 

命の話

命とは尊い

命とは重い。

命とは儚い。

命とは…

 

人は人の命を大切に守ってきました。

では、命とは何なのか、とても考えさせられます。死を考える人は是非一度僕の話を聞いてほしいし、死ぬつもりがなくてもしっかりと僕の話を聞いてほしい。

 

命は尊くないかもしれない。

命とは重くないかもしれない。

命とは儚くないかもしれない。

もし、1人で生きていたら、きっと命はただの命。

もしかしたら、孤独の中にいるとしたら、命なんて所詮、命かもしれない。

 

もし、僕が誰とも繋がりを持たずに、友達もいなく、愛する家族もいなかったら。

もし、僕が孤独を抱えて生きていたら、

死ぬ事なんてたやすいかもしれない。

 

でも考えてみて下さい。

繋がりのない命なんてこの世に存在しません。

親無くして子どもは生まれません。

大きな繋がり中に命は生まれてきます。

 

その命に関わる人がいるから、

命は尊い

命は重い。

命は儚い。

関わる人の思いがあるから命は輝いているんだと思います。

 

どうだろう?

あなたの周りにあなたの命を尊く、重く、儚く守ってくれる人がいるはずです。

1人でもいるはずです。

もし、いなかったら僕が尊く、重く、儚く思います。

そうして人間は命を大切にしてきたんですよね。

 

 

後悔はするもの

高校時代最後の大会。最後の試合。ブザーが鳴るラストミニッツ。この瞬間は、今まで過ごしてきた時間や苦労を重ねた時間、仲間と過ごした時間、全てがフラッシュバックして過ごしてきた多くの時間がその一瞬に集約される魔法の時間。

 

命の最後もそう。

今まで過ごしてきた多くの時間や瞬間がフラッシュバックする。

 

涙がこみ上げてくる。

人間はどんなに頑張っても、どんなに楽しくても絶対に後悔を抱く生き物です。

後悔はどうやら未来へのパワーであるのです。涙は、どうやら後悔を次の瞬間につなげるために必要らしいです。

 

人間は生まれた時からゆっくりと最後に向かっていきます。

どんなに面白い小説もだんだんと終わりに向かっていきます。

その時、寂しいと思う人はいますよね。でも、先に進みたくないと思う人はいないはず。続きが気になって仕方がないと思うはずです。

 

僕は人生も一緒だと思います。確かに節目や出会い、別れの中で寂しい気持ちはあるのだけど、終わりのない物語の方がもっとつまらないです。

だから、楽しんで終わりに向かっていきましょう。

もし、今日僕が不慮の事故で死んでもそれは僕の人生(ストーリー)の終わり方だから、受け入れて下さい。

そして、つまらない小説(物語り)だと酷評して下さい。それでいいのです。

 

僕は最愛の家族を失って悲しい気持ちはあるけれど、病気を持ちながら懸命な姿を見せてくれた『愛犬物語り』にとても感動をして涙を流しています。

その素晴らしい物語は、私に後悔と多くの知財と、思い出を残してくれまし、これらは失われる事なく、永遠と私と家族、愛犬と関わってくれた全ての人の中に残る事でしょう。

 

 

 

 

僕たちが生きている今日は、もっと生きたかった人の明日かもしれない

ブログのタイトルとして、かりゆし58の『さよなら』のワンフレーズを選びました。

 

僕のメッセージとしても、この言葉は誰にも忘れないで貰いたいです。

でも、さっきお話ししたように、その人の命の尊さや大切さなんて表面しか分かりません。

遠いどこかの国で、内戦で倒れる人々を心からどうにかしたいと、哀れんで何かをできる人はそうはいません。

死が身近に起こり、初めて意識する事だと思います。

それでいいと思います。

 

確かに、今僕たちが生きている今日はとても尊いです。誰かが生きたくて生きたくてたまらない今日です。

だからって、時間を無駄にするなとか、精一杯生きろなんて重たすぎます。

だから、自分の物語を構成する1日1日を自分なりに大切にしてください。

 

バスケの練習がキツくて憂鬱で、だらだらしたい人

勉強をしなければいけないけどやりたくなくてだらだらしたい人

親を口うるさく感じて何もしたくない人

それはきっとあなたにとって必要な時間かもしれないです。人と同じ歩みで生きていくことは時には難しいですよね。

それも大切な時間です。

 

でも、忘れないでほしいことは、

どんなに望んでも時間は巻き戻せないということです。あなたの物語は進んでいきます。ひたすらにだらだらしている描写が続く物語では人の心は動かせません。

僕はどうせなら、あなたの物語を最高な物語にして欲しいと願っているからです。

 

僕たちが生きている今日が、もっと生きたかった誰かの人生だと考えると、あなたの物語はもっともっとワクワクするものに変わるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

僕の物語を彩った時間

愛犬は僕が飼っていた犬が産んだ子どもでした。生まれつき足に奇形があって足が弱かったです。2歳ごろに原因不明の体調不良が続き、精密検査を受けました。

リウマチと診断されました。

なんとなくしか聞いたことのなかった病名は、僕にとって大きく強大な相手でした。悲しかったのは、ウイルスや何かと闘って病気になるのではなく、自己免疫機能が自分に対して悪さをしてしまうということです。

生きたいと思っているのに、生きたいと思う自分を攻撃してしまい、苦しむ姿は本当に胸が苦しかったです。

投薬による闘病は5年間続きました。

その間、何度も体調が悪くなる事がありました。

多頭飼の我が家では犬が嫉妬してしまったりするのであまり贔屓をしないように平等に接してきましたが、その子だけ、僕と寝る事にしました。(のちに他の子も)

なるべく多くの時間を過ごす工夫をしました。

 

そんな愛犬と過ごすうちに、僕は純粋な愛情に触れ続けました。その子は本当に優しい、争いが嫌いな子でした。声を荒げるとすぐに甲高い鳴き声で鳴き始めます。

お母さんが大好きで、誰よりも甘えていた甘えん坊です。

誰よりも撫でて欲しくて、誰よりも抱っこして欲しいとっても純粋な子でした。

病気をしているなんて感じさせない、活発な子でした。

あんなに純粋に愛情を表現できる生き物はいないのではないかと思うくらい人懐っこい子でした。

僕の人好きはあの子が教えてくれたのかもしれないかと思わせるほどです。

 

 

あなたの物語も彩りを添えてくれる出会いが沢山あると思います。まだないと感じる人は出会いを恐れず、外に出てみましょう。

今一生懸命に成長している子どもたちは、たくさん色々な世界をみて、彩りを増やしていきましょう。たまに色が混ざってしまったりしてきれいな色にならないかもしれないけど、それも勉強です。

次はきっときれいになるはず…。そう思って毎日を生きてみよう。

 

出会いがあれば別れもあるのが人生です。

でも、別れのために生きているのではないです。別れは次の世界の始まりです。そう、別れは贈り物なのです。

 

 

メンマ、ありがとう。

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