KIKOコーチブログ11
提供元:SKILL ELEMENT
2020/06/01 17:02
高校の進路に関して、中学生3年になってもバスケで高校にいくなんて考えてもいませんでした。正直、高校に行ってもコーチと一緒に練習する時間を減らしたくない、コーチと練習できる状況を変えたくないという気持ちでした。だからスクールの近くの奈良の公立の高校に行って高校生になってもSKILL ELMENTSに通うつもりでいました。自分の学力で入れる学校でいいかな、、と思っていたので真剣に受験勉強とかはしてませんでした。笑笑
なのでどこの高校が強いとかは全く興味がなかったし、そういう情報も何も知らなかったです。
少し高校のことを考えるようになったのは、中3でアメリカに行ったときでした。アメリカのバスケを経験して、キャンプで賞をもらって少し自信がついて『強いチームでバスケをしてみたい」と少しはおもいましたが、自分は泣き虫の末っ子だし、自分なんかの実力では強豪チームでするなんて到底無理だなと思っていたし、何よりスクールのコーチになりたいから高校生の間にコーチの近くにいて指導をもっと学びたいと思っていたので自分の中の選択肢に強豪校はなかったのです。
だけど、私はこの時、将来SKILL ELEMENTSのコーチになりたい!という夢は固まっていました。
そんな中、進学についてもコーチに相談しました。今までのブログでも書いてるように私にとってコーチの言葉は絶対です。コーチの言葉で決心した一言がありました。
それは「将来、一流の指導者になりたかったら、一流を学ぶこと。一流を経験してこそそれを教えられるんじゃない?』という言葉でした。このときに私は強豪校に行くしかないと決心しました。「一流の指導者」になりたいと思ったからです。純粋にコーチの言葉が胸に響いてその気持ちしかありませんでした。
強豪校といってもそれぞれレベルがあります。
県1位のところ、近畿1位のところ、全国大会でベスト4に入るところ。。
私の実力では奈良県でベスト4に入るくらいの学校がふさわしいだろうと漠然と思っている私にコーチが私に言ったのは『大阪薫英女学院に体験いかせてもらうか?』でした。
薫英は毎年全国大会に出てる大阪の強豪校で近畿1位は当たり前のチームでした。
そんな強豪校にコーチが話を繋いでくれて、薫英の練習に行かせてもらうことができました。
私は高校へ興味がなかったのもあり、今から思えば薫英の凄さをその時あまり理解できてませんでした。笑
でも最初行ったときは本当に緊張して、でも覚悟を決めてやるしかない!という気持ちで向かいました。
薫英の選手は私より全員身長が高くて、私は本当にチビでした。とにかく全員がキビキビとしていて挨拶もハキハキ、ピリピリの空気で経験したことのない空間でした。でも練習をした感想は、楽しい!!でした。私も予想外の感情でした。笑
今から考えたら私は中学では自分が考えたメニューで自分が主となって練習をみていたので、薫英での練習の空間が新鮮すぎたんだと思います。
高校の監督、安藤先生が私の練習を少しみてくれて『チビやし、ここに入っても苦労はすると思う。でも気持ちを強く持って諦めずに必死にやれば私はみてますから。よかったら来てもらってもいいですよ。』と言ってくださいました。
私は1回練習を行っただけで、他のどの高校も見にいかず、大阪薫英女学院に入学することに決めました。
ここからが私が19年間生きてきた中で1番内容の濃い3年間のスタートでした。そして、今もずっと尊敬する大好きな安藤先生との出会いでした。