強欲攻略戦
提供元:金沢大学男子バスケットボール部
2025/08/09 13:59
ありのままな私を受け入れてくれるあなたに。
当たり前のように横にいてくれるあなたに。
寄りかかっても、また包み込むように支えてくれるあなたに。
だから私はあなたがありのままでいれる存在になりたい。
あなたがありのままであること。
あなたがあなたらしく、思い切り、強さも弱さも全部私に見せてくれるなら。
そんな傲慢で強欲で我儘な私。
でも、それでも
あなたの声が、気持ちが、言葉が。
なんだって全部、ありのままであるように。
私はあなたの心地よい当たり前になりたい。
さてさてー!
強い日差しに、どこに居ても滲み出てくるベタつく汗。
体育館特有のあのでっかい扇風機。
止めたくない冷房、増えていく電気代。
乾く洗濯物、増える洗濯物。
夏もいよいよ深まって参りました。
青春の夏。暑すぎて、熱すぎて、倒れてしまいそうな夏!
普通に倒れたら、回復までに時間がかかるようになってしまった今日このごろ。
もはやあの頃の元気はもう、、、。
なので熱中症には注意して、お水いっぱい飲んで、栄養補給しっかりする!
これをこの夏頑張っていきたいですね。
というか、普通に工大さんか北大さんの体育館ごと移動することとかできないですかね?
最近、学院大さんも冷房環境が整ったらしいですが、本当に羨ましい限りです。
気持ちは熱く冷静に。
身体中は暑く熱中に。
ですね!
しらんけど!
あ、そういえば、3年の後藤です!
いそうでいない後藤さん。
なのであだ名は苗字をいじられることが多いです。
まず「ご」がいないですからね。
そしたら3年間、鼻毛処理の名前で呼ばれるようになりました。
気に入ってるのでよしです。まるよしです。
卒業まではごっそでしょうねー。
ではいきましょう!
今回のテーマは「ありのまま」
テーマを先に言うこの手法も少し久しぶりです。
僕のブログ長いので、読みやすくなるような工夫をしていきたいですね。
さて、素直に気になることなのですが、自分のありのままの姿って、どんなものでしょうか。
きっと言語化するのは少し大変で、想像してみても意外と「ん?」ってなるものだと思います。
「らしさ」とは、またちょっと違うんですよね。
なんとなくの印象で
「らしさ」ってのは、評価が他人に依存するキャラ付けの部分。
「ありのまま」は自分自身の存在の本質的部分。
そんな風に理解しています。
うーん、例えば、バスケしとって、べっちくんが左ドリブル▶︎右にレッグのクロスオーバー▶︎右手側のままキャッチ▶︎ステップサイド気味に左側に下がってスペースをとってボールを引き付けてスリー打つ
ってことしたら
おー、べっちらしいスリーだなー
ってなるじゃないすか。
あとは、あやちくんが訳分からん小ボケに対して、秀逸なツッコミしてたら、
おーあやとらしいなってなるじゃないですか。
でも例えば前者のプレーをひろかずくんがやったら、
ん? なんか違うなってなるはずです。
ひろかずくんはステップバックでシュートを打つ時、右手のパンチドラッグか左手側で1個ついて、1回右足に重心を置いてから、バックしてます。だから、それが「らしい」ですよね。
べっちくんのステップバックorサイドのパターンではあまりシュートを狙いません。
後者は突然、はるきくんが小ボケにツッコミ出したら、もう時代が変わるじゃないですか。
世界がひっくり返りますから、ホンマに。
こんな風にですね、「らしさ」ってのは他人軸なんですよ。
他人軸のキャラ付け。
誰かから見た時のキャラなんですよね。
でもあなたが誰かと接している時、多くの場合、これがその人の「ありのまま」なのかどうかは断定できないですよね???
えっと、少し簡単に言うと、大抵の場合、僕らって相当仲良くないと接する相手に気を使うじゃないですか。
何を考えてるのかなーとか、失礼じゃないかなーとか、こうしたら迷惑じゃないかなーとか。
自分ってどんなふうに見られてるのかなーとか。
でもそれって相手のことを考える「他人軸の行動」だと思うんです。
相手が何を思っているか。
自分は他人にどう見られているか。
そういうわけで、本質的なありのままの部分は、間に挟まるものがあって顔を出してこない。
もちろん話す相手によって間に挟まるものは違うし、その量が多かったり少なかったりします。
でも実際はそーんな物理的な感じなわけではないから、その量がどのくらいなのか、相手には分かるわけが無いですよね。
だから私の「ありのまま」が、あなたを覗き込んでいても、それに気づくことはあなたは出来ない。
あなたが思ってる私らしさは、私のありのままと基本的にはパラレルワールドに別れているようなもんだということです。
(なんで分かりづらくなるんだよ)
だから相手の「ありのまま」は、本当に私に見せてくれるのか分からないし、「ありのまま」かどうか断定できない。
それが分かる可能性があるのは少なくとも、そのありのままの存在を自覚する主体本人のみになるわけです。
だけど、だからこそ僕は僕が大切に思う人達に「ありのまま」の姿で接してもらえるような存在になりたい。
ちょっと前、それが上手くいってないことに気づかせてもらったり、気づいたりしたわけで。
でもやっぱわがままなのかなって。
でもやっぱ強欲で傲慢なのかなって。
「ありのまま」で接してもらうなんて。
欲深いだけじゃ、そりゃだめで、
よく深く対話して、一緒にいて、相手のことを知って、自分のことを知ってもらって、
大切に相手のことを思って、ゆっくりと信頼を積上げていく。
そしたら相手のありのままが僕を覗き込んでくれるようになるかもしれないんです。
大切に思う人には、それくらいの気持ちを持って接したい。
そうやって自分もありのままに大切な人と接することができるようにしたい。
人として生きる小さな願いと欲深さですね。
じゃあ僕のありのままってなんなんでしょうか
それは僕自身、理解できてるのでしょうか?
言語化するのが難しいとは言ってはみましたが、少しだけ言語化してみましょう。
まず僕にとって僕という存在は、基本的に呼び名によって少しづつ変わるものだと言うことが出来ると思います。
これまで仲良くしてきた人たちに呼ばれてきた呼び名は、たぶん
後藤、ごっちゃん、ごっそ、そうた
この4つかなと思います。
後藤と呼ぶのは親友の2人、あと先生とか目上の方からですね。
ごっちゃんは親友2人以外の中、高の友達全般です。
ほんで、ごっそは大学に入ってからのバスケ部の呼び名ですね。
そうたはちょっと例外で、家族がメインで、ひろかずとかはるきみたいな、名前で呼ぶようにしてる人たちに呼ばれてるかなーって感じです。
で、多分、僕は大まかにその呼び名ごとに、ある種自分的なキャラを記号化して押し付けているんだと思います。
どんな記号化がされてるのかって言うと、その名前が呼ばれている人との関係値、そして相手にとって自分がどんな人間に見えているかという客観視から来る、自分はこういう存在だと認識するということをしています。
だから呼び名をすごく大事にしてるんですけどねー。
具体的に行きましょう。
例えば、ごっそというあだ名は僕が大学のバスケ関連で呼ばれているものです。
先輩から後輩まで、ごっそというのはタートルズの仲間たちに接してきた自分の存在が記号化されています。
多分かなりはっちゃけてて、色んな趣味とか含めて、かなりオープンな人間になってると思います。
それと、ごっそには人間関係の挫折という記号化も詰まっています。
1年の頃のやつですね。
まじ今でも震える。
だからごっそには、必死に周りの人を気遣いながら、自分をオープンに出していく、こんな記号化がされています。
ごっちゃんは中高の自分志向主義の、まだ人間関係の挫折をしていなかった頃の自分が記号化されています。
ごっちゃんという存在は自分の意見を他人にガツッと言うことが出来る自分の意志が強い存在。
他人にとって自分がどんな存在かというよりも、自分にとって相手がどんな存在かを考えることに必死な人間。そんなことが記号化されています。
勿論、自分自身が変化している部分もあるし、この呼び名で呼ばれる時はこうだって、めっちゃ性格が変わるみたいなことは無いけど、
多分「僕らしさ」という点だと、そういうところが自分にとって記号化されているのかなって思います。
だからそのつもりで他の呼び名に関しても、自分も接し方を考えているわけです。
ごっちゃんと呼んでくれるような友達とごっそと呼ぶタートルズのメンバーとの接し方、まじ全然違うし。
じゃあ、そのらしさの中にいるありのままはどうなんだろって考えると、、、
でもやっぱ今の同期と一緒にいる時と親友と一緒にいる時、その瞬間がありのままの僕なのかなぁ。
何か言葉を選んだり、行動に気を使ったり、本当にそんな事しない。
こんなことしちゃうと悪いイメージがついちゃうなって考えることすらしない。
なーんにも考えずにただ楽しく接してる。
もちろん、ちょっとはあるけど、でも本当にちょっとだから。
それがありのままなんだろーなーって。
オタクな自分、競馬好きな自分、麻雀好きな自分、就活してる自分、そこで思ったこと全部をぶん投げるような、、、。
だからありのままって自分の頭のなか全部なのかなって。
だから言葉で説明するのは難しいし、要素があまりにも多くなってしまうのかなーって、書いてて思いました。
だからあんまりいい疑問じゃなかったかもですね。
まーいいや!
まーとにかく、うまくお互いのありのままが見せられる関係でありたいな、なーんて思います。
全部ありのままなのはただの自分勝手で、何も相手のことを考えてないことになるだろうけど
お互いすこーしだけ気を使いながら、気持ちのいい人間関係が構築出来ればいいよねって。
言いたいことはそんなとこ。
僕が頑張りたいのはそんなとこ。
ちょっとだけ。
ほんの少しだけでも、ありのままで関わりあえるように、すこーしだけがんばるます。
はい今日はおわり!
読んでくれた方ありがとうございました!
ではまた、夏の暑さが逃げ遅れた頃にお会いしましょう!