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劇場型悪意

2025/07/07 04:48
  

ありがとう,ごめんね。
あまりにも,生温いと思った。熱さも冷たさも感じなかった。

ありがとう,ごめんね。
みな,拍手をしている。嬉々として,全く同じ表情で。

ありがとう,ごめんね。
笑っている。みなで。ただただ,笑っている。私も,あなたも,隣のあなたも,みんな。

ありがとう,ごめんね。
そうか,笑っているんだ。私たちは「愛」を示されている。「愛」を確かめている。

ありがとう,ごめんね。
私たちは褒め称えている。すべての人を。幸せを求めるすべての人を。

ありがとう,ごめんね。
みな同じところだけを見つめている。これは「愛」の確認作業だ。世界は優しさに溢れている。

ありがとう,ごめんね。
だから感謝することができる。私たちは許し合うことができる。

ありがとう,ごめんね。
素敵だ。「愛」は和の心だ。隣の人は知らなかった。顔も知らない。ただ今,愛を分かち合っている。喜びを共有している。皆が幸せに思っている。だから拍手している。肩を組み,踊っている。

ありがとう,ごめんね。

だって,悲劇なんていらないでしょう?
憤怒なんていらないでしょう?
「愛」は皆の心が幸せで,優しくて,分かち合うことができるものでしょう?



みんな,心が一つになって,喜びや楽しさを共有できる方がいいでしょう?


ああ,愛は世界に満ちているんだ。






やっぱ、めっちゃ気持ち悪いな。
小説読んでて、人が死ぬ手前では、これまでの人生で一番体が震えたシーンのパロディです。



これまでの記憶だけで、且つこんな拙い文章でパロディ創るのも失礼なんですが、今回のブログのテーマを考えて、これだけは、これだけは、書いてみたいと思ったものです。


長月達平先生、鼠色猫先生ごめんなさい。『Re:ゼロから始める異世界生活』、最高の小説ですマジで。
ほんまにこの作品に出合えてよかった。
だからこそ、この文章が本人に届かないことだけしか願ってません。

届くわけなくて草。もはや草超えて森。


あ、えっと、どーも、3年の後藤です!

最近のブログ、自分の心の内を書いてくれる人が多くてうれしいです。

みんながどんなことを思っているのか、何が自分に必要なのか、チームの方向性がどんな方向を見ていてほしいのか。
そういうことを聞けると、いい衝突が起こってるなって見ることが出来て良きです。


と,言うことで,少しだけ僕も普段意識してることを話せたらなーとか思ってます。

よっしゃーいくぞー!



ささ、突然ですが、世の中には「含み」を持たせるとかいう言葉があります。


まーなんというか、1つの言葉に複数の意味を持たせたり、ある単語に必要な意味合いを付随させたり、あとは本来言うべきことを省略して、相手に言葉を埋めて貰えるように仕向けたり。
そんな感じのことです。



例えばー(読むのめんどくさかったら、どーでしょうのとこまで飛ばしてください。)


さながら人に思い寝をする、でも叶わないと知ったタヌキのような。

心恋に留めたくて、でも気づいてしまったから。

愛執はひとりで。思慕はふたりを求めて。

しかし、もはや、諸恋を祈るのは、私だけであってほしいと、思ってもないことを口にした。





とかいう文章があったとしましょう。
自作なので、読み解くには別の解釈もあるかもしれません。

でも一旦この解釈で我慢してください。

まず、含みを理解するには、「知識」が必要です。
今回必要な知識は単語と「タヌキ」の解釈についてでしょうか。

単語は埋めてきます。

思い寝=好きな人のことを思いながら眠ること。

心恋(うらごい)=今回の意味合いは、心の中に秘めているまた自分も気づいていないような、淡く密かな恋心。

愛執=愛に囚われている。心が惹かれて、心が自由でないこと。

思慕=恋しく思うこと。(ここではあえて、恋慕という言葉を避けています。自分のことを少しでも慕ってくれれば、それでいいというイメージです)

諸恋=両思いのこと。相思相愛。


タヌキは「人に化ける」のがポイント。

タヌキは人に恋してしまった。
でもそんな恋は叶うはずない。
だってあなたは住む場所も環境も違う。
タヌキと人にはそんな壁がある。
だけど人に化けて、自分勝手にあなたの近くにいることはできる。誤魔化すことは出来る。



「タヌキ」の意味合いはまーそんな感じだとしましょう。

ほんで「さながら」なので、本来の主語は人間です。


だから、全体解釈は


私は身分も生きる環境も違うあなたに恋してしまった。

しかし私はあなたに会うことが出来る。身分を隠して、騙して。私がどんな人かあなたは知らない。
もしこの恋に気づいていなかったなら、きっと私があなたのことを思い眠る夜なんて訪れなかったのでしょう。

強く思っているのは私だけだ。あなたは私の事なんて、恋仲と考える可能性すらないのだろう。

でもあなたと思い慕い合いたかった。
あなたと両思いでありたかった。

だけど、叶わないのだから、いっそ私だけが両想いを願っている方が、あなたが幸せになれるのだろう。

でも、、、それだけは言いたくなかった。
だけど言ってしまった。私はそれを認めてしまった。




と、こんな感じです。

あとこれ、多分高校生の時に書いた文章です。

懐かしいね。黒歴史です。



でもこういうの書くの好きなとこは変わんないなーって思います。







どーでしょう。


「同じ解釈」をできたでしょうか?
全ての言葉を昔の僕が意図したように、理解できたでしょうか?

多分、僕でさえ少しだけ解釈が変わっていると思います。
作者ですけど。


ここでまた突然なんですけど
僕はできる限り、含みをもった言葉を使うようにしています。


は??

そうです。含みを持たせて言葉を使っています。


人によって解釈が変わるのに?

承知の上です。


今までの話は含みを持たせたら、解釈が変わっちゃうから、しっかり相手にも自分が考えている言葉を伝えよう、って主張したいんじゃないの?

それは「対話する」ことで解決するもんだと思ってるんで、気にしてません。
これは前のブログで書きました。

対話してください。
ちゃんと自分が伝えたいことを伝えたい時は。
それでいいです。それがいいです。




普段はあえて、「含み」を持たせています。受け取る側に全てを委ねています。どう受けとってくれてもいいと思っています。


「そんなこと分かってるわ」って思って欲しくないからです。
言葉ほどの重みを受け取って欲しくないことが多いからです。


でも言葉の重みを理解してない人は信用していません。
上手く言葉の重みを使い分けて、聞いたり話したりできる人は信頼できるし、話しやすい。
だから僕もそういう人でありたい。


相手の話を真っ直ぐに、丁寧に、咀嚼して、理解しようと務める人は生真面目で、よく人の話の影響を受ける。


だから含みを持って話さないと、受けなくてもいい影響を受けてしまう時がある。
部分の意味だけ拾ってくれれば十分な時ってあるから。

あ、はるきくん、元ライオンのしょうたくん、君たちのことです。




それと、相手がちゃんと分かってるかどうかを確認する時にも、よく含みを持たせます。
含みを理解してる返答かどうかなんて、すぐ分かるからです。


僕は基本的に自分の言葉が相手に真っ直ぐに伝わることを求めていません。


だから軽口も多いし、小ボケもします。

もっと言えば、みんなの言葉1個1個、ボケてる自覚なくても、無理矢理ボケとして拾ってツッコミます。
みんなの言葉も真っ直ぐに受け取りきらない時があるということです。


しかしツッコミもボケも3割くらい伝わってません。

この前、シチュエーション忘れたけど、「宇宙兄弟か!」ってツッコミしたら、ひろかずしか分かりませんでした。

悔しかったです。
伝わってないのは悔しいです。


基本、僕のツッコミとボケには「知っていなければならない」という含みを持たせれるようにしています。
そう教わったので。



俺、引退試合で50点取ったんだ、と言った友達がいました。
オグリキャップか、とツッコミました。
伝わりませんでした。
当たり前ですね。

お父さんが競馬好きなら、ここだけ見せましょう。

僕の父親は少なくとも何でそうツッコんだのか分かってくれます。
競馬好きなら、苦笑いくらいはしてくれると思います。

関係ないのでそこら辺は無視してください。



よく僕はゴール下を外した後とか、弱いプレーをした後に、軽口っぽく「ダンクしろ」って言います。
ダンクなら決めれるだろって意味です。


つまり出来ねぇかも知らんけど、ダンクするくらい思いっきり決めて来いって言ってます。


だからダンクしろって言われたら、次のゴール下は1人くらいぶっ飛ばして決めてきてださい。


「何外してんねん」とは言いません。
そんなこと自分が1番分かってんだから。
言われるの癪でしょ。

だからその次、人を殺すくらいの気持ちで、さっさと決めてきてください。

胸張って「次は外さんわ」って言ってください。

スリーも含めて、何外してんねんって言われたら、「今のは悪かった、次からは外さん」って言って決めてくればOKだから。



含みは優しさです。

敢えて言ってますが。
僕はミスを直接言葉で責めることはしないように心がけてます。

スリーを外したら、「〇〇なら決めれるよ、次たのむぞ」って言います。


「何外してるん?」
「おい、決めろよ」
とか、きつく言っちゃうのは、消極性を増幅させるものだと思うからです。


よく言うんだけど、できる限り「鼓舞」するように言ってます。


課題とかやってて寝不足の時は、ストレス値が高いので、時々「何しとん」とか言っちゃいます。
許してください。


人間優しい時は、「含み」をもたせられることが多いかもしれません。
まっすぐ言葉を伝えていない時が多いかもしれません。


もっかい言いますけど、僕は本当に伝えたいことを言ってない時がよくあります。

そしてそれはその人の捉え方に委ねています。


さっきのスリーのやつは、あれで次は肩の力抜いて打てる人も、逆にちょっと力が入っちゃう人もいるかもしれません。

でも前向きに打つようにはなりそうでしょ?

だから鼓舞するようにしてます。




でもなぐさめる気はほぼありません。

僕がちょっと慰めるとき、「ドンマイ」という言葉を使うとき。
絶対もう一言つけます。


なにか分かりますか?




「そういう時もある」です。


ミスるときもあるから、さっさと切り替えて、次のプレーで成功させてこいって言ってます。

よく言ってるでしょ?



もし、ドンマイって言葉でいっぱいになって、他にもポジティブな声掛けだけになったら、一番最初に書いたくっそ気持ち悪い世界です。

みんな一緒の顔して笑ってる。
一緒に絶対違うことを、ドンマイドンマイって傷を作る前に手を繋ぎあってる。

あー気持ち悪い気持ち悪い。



と、いうことで、上手く含みを理解してくれるといいかもね。





じゃー、結局何が言いたいのか。


それは、1つの言葉を噛み砕いて理解する時に、人によってどこまで「理解しようとするか(含みがあるかを探るか)」には大きな差があること。


含みに鈍感であることも敏感であることも1つの才能です。

だから、聞く側はそれを上手く使い分けられたらベストだと思います。

つまり、相手が本当の伝えたいことを上手く含みの中に隠しているのなら、それを探ろうとする敏感さを持つこと。相手がそのままの意味で自分に言ってきたことに対して、どこかに含みがあるんじゃないかって意味を拡大解釈したり、逆にそれを真正面から受け取りすぎたりしないように、あえて鈍感になること。

それを上手く使い分けていこうということです。



話す側はそれを理解して、人によって、どう声掛けを変えるべきかを考えるのがベストだと思います。


本当はね。


僕には難しいので、ポジティブなプレーに繋がりそうな「含み」を持たせた言葉をよく使っています。


まー、声掛けって世界一むじぃから、上手く立ち回る方法を自分なりに見つけるんだな、ってとこです。特に受け手側が。



はい、上出さん。
こんな感じで答えになりましたか?



アクターの話、その通りやと思うからこそです。


ポシディブだけでなくて、誰かが厳しく言ってくれてるから、僕は「鼓舞」を目指しています。


決して、ポジティブに受けとって欲しいとは思ってませんけどね。


萎縮してやる気なくされるのが、いっちゃん萎えるんで。


と、言うことで、個人的にはどちらかと言うと「ネガティブ」にならないようにしてるというお話でした。


結論
味方のプレーとか味方の声でメンタル崩れるのは、やわやわすぎるんで耐性つけときましょう。









P.S. オタクの本気は周囲の目なんて気にしない。
今日、そのように感じました。




じゃあ、また会いましょう!



この時間のお相手はごっそでしたー!



またねー!!

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