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ヒッチコック

2024/07/13 08:00
  




「はぁ」
と、溜め息ひとつ。
空を一度見上げて。
そのまま。ずっと。

梅雨の明けた青空は鋭く強い陽射しを抱えて、世界を執拗に熱している。
雨の匂いが遠く懐かしく感じる静かな夏の匂いは生暖かく少しだけ心地良かった。

日陰に隠れた自分の身体は止まらない汗に蝕まれて、日下に入ってしまえばすぐに消えてしまう涼し気な風にいつまでも吹かれたいと思わせた。

木々の中に鳴く蝉は五月の蝿が絶え間なく動き回るように、脳みそを掻き回す叫びあいを無限に続けている。
それでも、ただ青空を眺めるだけの今は自分の思考を放棄させてくれているようで心地良かった。

「青空だけを見たいと思うのは我儘なのだろうか」

終わりなど無いような、でも届いてしまいそうな青にぽつんと問いかけた。
雲の高さを指で描くように、空に手を伸ばして。
でも何も掴めず空振ってしまった。

この視線を下に落としてしまえば、世界も社会も現実も自分も全てが目に入ってしまう。

もし青空だけを見ることが許されるなら。
自分はどれだけ幸せなんだろうか。

いつまでも風に吹かれることが出来るなら。
どれだけ苦しまなくて済むのだろうか。

いつか報われるからと信じて青空から逃げるように、自分は目の前を見つめ続けることが出来るだろうか。

今はただ、空から目を逸らすことなく。



















































さ、ということで。

今回のテーマは「ドラマチック」。
タイトルはヨルシカさんの曲、『ヒッチコック』より頂きました。









ヒッチコックというのは、サスペンスをはじめとして様々なジャンルの映画を手掛けたアルフレッド・ヒッチコック。


「サスペンスの帝王」とも呼ばれる非常に有名な映画監督のことです。

















そしてこのブログを書いているのは自由がモットーの二年の後藤です。

「人文のぼっち」と宮部君に言われたことが有ります。

何を書いているかよく分からないと言われましたが、まぁ自由に書かせて頂きます。






















『ヒッチコック』は主人公が先生に人生相談するという物語の進行の中で、答えのない問いを何度も先生にぶつけていくという内容の曲になります。









ミュージックビデオでは先生には大きな耳はあるけれど手はない、というのが非常に印象的です。聞いてはくれるけど手を差し伸べてはくれないといったところでしょうか。


















疑問の中には
「幸せの文字が¥を含むのは何でなんでしょうか」

「一つ線を抜けば辛さになるのはわざとなんでしょうか」

とか、洒落た疑問が沢山ありますが今回は割愛。























今回の本題は唯一、歌詞の中で繰り返される疑問。

「青空だけが見たいのは我儘ですか。」

になります。





上の文章でもパロディ的に使わせて頂きましたが、なかなか深い意味の一文かと思います。



























前述ではあえて

「この視線を下に落としてしまえば、世界も社会も現実も自分も全てが目に入ってしまう。」

と、できる限り意図が伝わるように書かせて頂きました。


































白と青の対比が見える綺麗な空は勿論のこと。


藍紺に小さな光がぽつほつと点在する空や世界を照らす人口の光が襲いかかってくるようにも思える夜景。


そういうのを見ている時、なんだか現実を忘れるような、別世界に行ったような感覚になることはないでしょうか。

物思いに沈む感覚とも言えるでしょうか。


























青空だけを見ているというのは、人生の苦しいこととか、社会の道理とか、今の現実とか全てから目を逸らしている状態を示していると思います。




実際なんとなく言ってる事分かりますし。
なんだか僕自身、最近青空見ること増えてる気もしますけどね。


































━━もしそれだけができるとしたら。






































果たして幸せなんでしょうか?





目を逸らしたくなる時はあります。
でも....なんだかつまらないかもしれません。



まぁ人それぞれだと思いますけど。




























さてもう1文、『ヒッチコック』より引用です。



「ドラマチックに人が死ぬストーリーって売れるじゃないですか。」






何か残酷なことを言っているようで、でもその通りではないでしょうか?











「死」を媒介にして逆に「生」を過ごす人間が頑張ったり、「死」に絶望や葛藤をしたり、「死」の人間が新たな「生」を持ったり。

















きっとドラマとかアニメとか小説とか、想像に浮かんでくる物語に「死」が関わっているということは珍しいことではないはずです。

















でも現実はそんな身近に「死」がある方が珍しい話です。














別に「死」だけではないですが、結局自分たちが生きている世界って、想像よりも酷く現実的でいかにもドラマチックではないように思います。






だから目を逸らしたくなる時があるのだと思います。



















もし自分が映画の主人公のような人生を過ごしていたとしたら。

どれだけドラマチックでどれだけ輝かしい生活を過ごしているんでしょうか。

































でも思春期の終わり頃に思いませんでしたか?


「自分はこの世界の主役じゃないんだ」


なんて。








みんなで何かをしてる時に思ったことはありませんか?


「自分が脇役にならなきゃいけないんだな」


なんて。


































NBA選手、パトリックべバリーがこんなことを言ってます。


「全員がエースのようにボールを持てる訳では無い。なにか役割を見つけよう。自分の中のニッチを極めるんだ。
誰もが主役になれる訳では無い。
ニッチを見つけたらそれに向き合い続けよう。
それがこの世界(NBAの舞台)で生き残る術になる」












もっと脇役を受け入れられないといけないんだろうなぁ、自分。


がんばろ。
































でもまぁ脇役だから、主役じゃないからドラマチックでいちゃいけないって訳でもないのかなと。

















なんだか、自分が脇役であることを認めた主人公。

なんてちょっとドラマチックかもしれないですね。


















沢山苦しんで葛藤してる方が成功がドラマチックになるかもしれないですね。



































「━━じゃあやっぱ空見てるだけじゃダメじゃん。」







































一歩。

建物の一直線の日陰から、自分の頭の影がゆっくりと飛び出した。

項から感じる日差しの強さが、今はなんだか背中を押してくれているようで。

今、自分の影の全貌を捉えた。
まずはこの影と向き合うところから。














































あれまだ梅雨って明けてないんですか!?

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