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カムパネルラ

2024/01/26 16:41
  









突然ですが問題です!!!!







Q1. 「ソウイフモノニワタシハナリタイ」という2行で終わる、宮沢賢治の没後に発見された遺作は何?






Q2. 孤独な主人公ジョバンニが親友カムパネルラと共に鉄道に乗って、北十字から南十字までを旅する、宮沢賢治の未推敲の作品は何?













うん、もちろん皆さん知ってますよね。簡単です。





有名な作品ですから、読んだことはないけど知っているという方も多いのではないかと思います。















あ、そういえば自己紹介忘れてました。(これもなんかいつも通りですね(*^^*))








一年の後藤です。ごっそです。

同じ学類の友達からはごっちゃんと呼ばれています。

刎頸の交わりの友人にはほとんど後藤と呼ばれます。

最近ごっそりーなが勢力拡大中です

一年の米田だけが颯太と呼びます。嬉しいです












ブログの更新遅れてすいません。
たくさんの人達に急かされてしまいました。















その分、思いっきりブログ書いていきましょう!!











さて、先程の問題の答えは
1が『雨ニモマケズ』
2が『銀河鉄道の夜』
でございます


















なかなか希少なのは、問題文にもある通り、どちらも宮沢賢治の死後に出版されたという所でしょうか。







死後に家を漁られて出てきた作品ってことですね。
うぅコワイコワイ(∩´﹏`∩)








他には風の又三郎なんかも賢治の死後に出版されてますね。














まぁそれはそうとして、、、死後に出版された、ということは賢治が自身の死の間際に書いた作品であり、もっと言えば宮沢賢治が敢えて生前に出版しなかった作品とも言えるかもしれません。
















ではもう少し踏み込みましょう。








Q1の『雨ニモマケズ』。最初の方は有名ですよね。




雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ.....




とまぁこんな感じ。つまりこれから結構飛ばして、最後に



ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ



と終わります。








なかなか知られていないのは、この「ソウイウモノ」が何を指すのかです。














さらに詳しく引用しましょう。
以下はソウイウモノニワタシハナリタイの前述の部分です。










東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ










これで何となく「ソウイウモノ」が浮かび上がってきますね。
















「ソウイウモノ」は自分を犠牲にしてでも、決して褒められなくても誰かの幸せのために行動できる人間を指していると思います。












また宮沢賢治は生前こんな言葉を遺したと言われています。





「人間は他人のことを思いやって行動し、良い結果を得た時に、心からの喜びを感じるものである。その喜びこそ、人間愛に基づくほんとうの「幸せ」なのである。」






なかなか凄いメッセージだと思います。








他人に幸せを届けられることが、本当の幸せだと。















さらにQ2でも提示しました、『銀河鉄道の夜』にもそんなメッセージが隠れています。

















そのメッセージを体現している登場人物といえばカムパネルラですね。

















そういえば、米津玄師さんもカムパネルラという曲歌ってます。あらすじだけでも知っていると、この曲凄くメッセージ性を感じるようになります。是非聞いてみてください。‪(っ ॑꒳ ॑c)



















ま、まぁそれは一旦置いといて、カムパネルラはお話の最後で主人公の見ていないところで、川に落ちたザネリといういじめっ子を助け出すことで亡くなってしまいます。












自分を犠牲にしてでも、他人の命を救う。なんかここまでのお話に合ってますよね。













そしてその少し前、ジョバンニと共に銀河鉄道に乗っている時、カムパネルラは「ほんとうのさいわいは一体何だろう」とジョバンニに話します。

















カムパネルラ自身、本当に自分の命を犠牲にしてでも、友達を救うことが正しいことなのか疑問に思いながらの行動でした。

 

















この言葉は人のために動くことを幸せであるはずだと、ある意味で取り返しのつかない行動をする自分を肯定するような言葉のようにも思います。















こういうところがそれぞれの作品が評価されている1つの点なのではないでしょうか。
















で、これが死が近くなってきた頃に書いた作品ってわけです。


















ただ少し思うのは、この作品たちが賢治にとっては自分自身へのエールであったのだろうと。









死ぬまで誰かのために尽くす。それが幸せ。
賢治の(少し過大解釈かもしれませんが)考えは少なくとも僕には真似できません。













だけど死が近付いた時、自分の理想とする姿を描くことが自分の根底の幸せを思い出させてくれていたのだと思います。
















少し話が変わって、個人的な話になりますが、最近能登半島地震への募金に協力するようにしています。









そんな多量に募金はしてません。
ちょっと余ったお釣りを募金箱に入れている程度です。












でも自己満でちょっと幸せです。






本当はそういう言葉も良くないのかもですが、自分の少しのお金でも被害を受けた皆様に協力出来ているというのは、ちょっと誇らしいのです。









なんとも自分都合な。
でもまぁいいじゃないですか。















だってバスケでも自分がスクリーンかけて、めっちゃ綺麗に見方がボール貰えたり、シュートを打てたりしたら、なんかそれに貢献した自分が誇らしくないですか?

















ディフェンスリバウンド競り勝って、そこから速攻でシュートが決まった時、自分はシュートに関係なくても、なんかちょっと嬉しくないですか?

球技の多くは自己犠牲が必要な場面が多くあるスポーツだと思います。










バスケだったら5人で攻めてるのに、シュート決めるのは1人ですからね。














でも1点をとるために、誰かが犠牲になって、1点を守るために誰かのためにヘルプに行って、、、


それが上手くいった時、なんか誇らしくて、幸せですよね。


















だからもっと僕もいいプレイを演出できるように、ちょっとの幸せを積み上げていければと思います。




















そして皆さん、募金をしましょう。

いや募金に留まる必要はありません。
自己満ですこーしだけ幸せになれます。
誰かの助けになります。
そして誰かの幸せになるかもしれません。
















P.S.  ここまで僕のブログを読んでくださった皆様。本日のブログをもちまして、僕はある縛りを終えたことをご報告致します。

















まぁ勿論、皆様わかってると思いますが、ここまで僕のブログのタイトルは湊かなえさんという作家の方の小説のタイトルと同じものでございました。






















次のタイトルはなんだろうと、予測してくださっていた皆様。







以降は他の文学作品に関わったタイトルになっていくと思いますので、またご期待頂けると幸いです。

















それでは相変わらず長々と話しましたが、この辺で!












次は雪が溶ける頃にお会いしましょう!






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