無邪氣、無関心、だからあえて『無題』
2020/11/01 08:49
その千四百六十六・千四百六十七
厳しくないのは感じてて、無邪氣なのかと見守りつつも、無関心というか、喜怒哀楽がない。感情がない。無いわけではなく、出さないように自ずとなってる。
高校生のウィンターカップの県予選の合間に練習でした。コロナのおかげと言うと角が立ちそうですが、そうでも無いと大会に缶詰め状態になって練習見ている場合じゃなくなります。
そして土日の練習して冒頭の感想となりました。中身のない練習に危機感も感がないのは、小学生なら普通かと、3歩も4歩譲ってそれでも勝負するにはと、細かいことは排除してゲーム形式中心にやりますが、途中抜けて最後に見た5on5では、何があっても何が起きてもどうでもいい状態になってる。この先落胆もなければ、感動もちろんないようなチーム、選手に見えてました。今風なんでしょうが、本当にそれで良いのか腑に落ちません。
芸は日増しにレベルが上がってアイディアは評価に値します。表現力や間の取り方が上手く行ったら、吉本に推薦できるレベルになってます(笑)
ここで大人がハッパかけてやらすより、本人たちを見守るのが、正解なんだと、今は思います。中学生もそうでしたが、今回の無観客試合の高校生の大会見て感じるのは、外野からいろいろ言われず、純粋にバスケットに向きあってる選手たちが多い事に嬉しく思うし、名前負けで戦わず終わってしまったチームも見ましたが、その中でも最後まで意地見せてベンチで奮闘する選手が目立って印象的でした。観客いたら氣付かない事だったと思います。大人のエゴからの解放は価値あるものです。