人生二度目の入院(多分)
いよいよ旅から帰ってきた。
終わってみて、考え方によれば足湯三昧の温泉旅館満喫感が強い、いい旅だった。
旅の初日はただただ時間をもて遊ぶだけだったが、慣れない環境とこれから襲ってくる地獄の前の静けさにソワソワしてたのか何も感想を思い出せない。
2日目の朝からご飯がなくなり、水分が取れなくなり、管をつながれ液体を体内に流し込まれ、ただただ天上を眺めていただけだったが、いよいよ指名がかかり、ベッドごと運ばれて行ったら、
『はい20から逆に数えて』
と、言われ『20・19・・・10・9』ここまでしか覚えていない。後は氣がつけば、あっという間に痛みとの対話。
朦朧とする中で、以下に動くかの訓練的、精進的心境で右往左往してた氣がする。
後日、自分が動けるようになり、その状態の他の病室の患者を見ると、俺も相当のたうち回っていたのだろうと想像がついた。
寝返りが辛いが、動かないのはもっとつらい。精進精進と我慢して動いていた氣がする。
あちこちに管をつながれてるのは感じるが、全体像は見えない。
動けないまま、三日目の朝、久しぶまりの食事に自衛隊のレンジャー訓練を思い出させるほど、見境なく飯を貪ったが、何をどのようにして食ったか今となっては記憶が無い。
とにかく、『今これ食わねば!』しか思い出さない。
いつ寝ていつ飯だったか思い出せないが、とにかくそれから昼、夕と貪ったはずである。
四日目、同部屋のほぼ同スケジュールで同じような手術をした患者の管が取れた。
が、俺は出血も酷くまだ取らないらしい。
同じ様な治療だが、ボルトを入れる、骨を移植するというオープション付きの俺はもう一日、寝返りと戦い、飯を貪る。
同部屋の方は自由に動き回っているようで、快適なようだ。
血を取る管、おしっこの管、各種点滴、オムツ状態であらゆる世話を赤の他人の看護師のお姉ちゃん方にお世話になるのだが、気分がいいもんではないがどうにもならん。
次の日やっと管が取れた。
動き回われる快適さに五体満足のありがたさを痛感する。
管が取れたのが遅い分だけあらゆる工程が同部屋の人より遅い。
抜糸から入浴、退院まで同部屋の人はトントン拍子。
焦る&悔しい。
朝に昼に夜に、病棟中を動き回り、看護師さん主治医に院長、理事長先生、助手や掃除のおばさん、リハビリの担当者まで、色んな人に声かけまくって
『退院させろ!!!』アピール
『はいはい、有馬さん退院したいのねー。』
『有馬さんは治療の工程がいっぱいあるから他の人とは違うからなー。』
『今無理して大変なことになりと取り返しがつかなくなるから、大事にしましょうね。』
赤ちゃんや爺婆をあやすようなお決まりなセリフを散々きかされてもめげずにアピール。
確かにコルセットは特注で、看護師の方々も見たことがないほど頑丈なんだとか。
『なにこれコルセット?うちの病院で造ったの?凄い!見たことないこんなの!』
来る看護師一様に同じような対応なので、本当に重症患者でレアな手術だったらしい。
入院して10日目、手術から9日目、アピールの甲斐あってイレギュラーで抜糸。
ここからトントン拍子、
入浴もタイミングがバッチリで出来ることになり、快適な入院生活が始まる。
抜糸が済めば、足湯もOK。
日々のアピールが感謝の言葉に変わっところ、主治医からも退院の単語が出るようになり、感謝の言葉におまけを付けて外出志願。難なくOK。
後は足湯三昧の外出三昧で快適に過ごす。
こうなると病院ほどいいところは無い。
同部屋の方は週末に退院してしまい、一人部屋状態。
コルセットして外出すると世間は何かと支障があり、改めてパリアフリーの病院は至れり尽くせり、おまけに上げ膳据え膳。
『俺、外出自由ならもっと入院しててもいいなー!』
と、看護師さんに言ったら
『ダメです!』とピシャリ!
名残惜しいので退院当日は朝暗いうちから足湯して退院してきました。
さて、現実の生活に戻りますか。。。